松本きょうじ

男らしく泳げるようにさせようと叔父に連れられ湘南国府津の海岸に行ったが波打ち際で怖がるボクをかばってくれたそうだ。
以来、6つ年上の兄のやることなすこと真似た。ビートルズを知ってからは音楽に傾倒していったが、それまでは兄がすべての見本だった。
職業は俳優。大河ドラマ新撰組の香川敬介役が当たり役だった。
たった一人の兄だった。一緒にいられた頃がとても懐かしいが、つながる想いは今でもある。
お稼ぎなさい
芸能界の挨拶は「おはようございます」と「お疲れ様でした」だ。
出勤前に郡山駅前を歩いていると飲食店の同業者に出会う。
たいてい「お稼ぎなさい」とか「お稼ぎください」と声をかけられる。
商いの街にふさわしい親しみあるコトバだ。
出勤前に郡山駅前を歩いていると飲食店の同業者に出会う。
たいてい「お稼ぎなさい」とか「お稼ぎください」と声をかけられる。
商いの街にふさわしい親しみあるコトバだ。
P

23才からギターをはじめたというから決して早くはないが、しかし彼が郡山のストリートミュージシャンのはしりだ。
郡山の社会人生音楽サークル、punos ploject の punos は sound を逆さまにしたのが由来。
ラジオ局にその歌声と独自のサウンドを買われ数々のイベントをこなしてきた。
しかし父親が亡くなり家業を継ぐことになった。
以来、音楽は趣味としていたが、郡山にフォーク酒場6575がオープンしてからは、真っ先にはまったひとりだ。
彼はお客さんのスタンスを決して崩さないのがいい。
たまに、この店がなかったら「いまごろ自殺していた」なんて物騒なことも言う。
それほど仕事でボロボロになっても音楽を愛する姿勢はただ者ではない。
ストリートあがりの根性は誰にも負けない頼もしい男だ。
こだわらないこだわり
君はフォーク派か?ロック派か?なんて流行を2分する音楽シーンが70年代の日本にあった。
当時のテレビ番組リブヤングを見てたらフォークVSロックの対決企画をやっていた!
泉谷しげるはフォーク組でキャロルはロック組だ。まあここまではわかるが、なんとチューリップがフォーク組にまざっていた。
ビートルズの影響が強いバンドがなんでまたと思ったが、どうやら姫野さんがエレキにカポを使ってたかららしい!?(笑)
遡れば、60年代半ば以降にグループサウンズ(GS)という、コンボバンドのスタイルが流行った。
大半は既成の作家が書いた曲を自らの演奏で歌っていた。シンガーソングライターが登場する前の話しだ。
ブルーコメッツ、ジャガーズ、ヴィレッジシンガーズ、スパイダース、パープルシャドーズ、ゴールデンカップス、ワイルドワンズ、タイガース、テンプターズ…上げたらきりがない。
いま、彼らの軌跡を辿りながら歌うのが楽しい。ギター一本でもいいし、バンドでやってもいい。
けしてフォークでもロックでもこだわることはない。
そんなこだわりで6575をやっている。
当時のテレビ番組リブヤングを見てたらフォークVSロックの対決企画をやっていた!
泉谷しげるはフォーク組でキャロルはロック組だ。まあここまではわかるが、なんとチューリップがフォーク組にまざっていた。
ビートルズの影響が強いバンドがなんでまたと思ったが、どうやら姫野さんがエレキにカポを使ってたかららしい!?(笑)
遡れば、60年代半ば以降にグループサウンズ(GS)という、コンボバンドのスタイルが流行った。
大半は既成の作家が書いた曲を自らの演奏で歌っていた。シンガーソングライターが登場する前の話しだ。
ブルーコメッツ、ジャガーズ、ヴィレッジシンガーズ、スパイダース、パープルシャドーズ、ゴールデンカップス、ワイルドワンズ、タイガース、テンプターズ…上げたらきりがない。
いま、彼らの軌跡を辿りながら歌うのが楽しい。ギター一本でもいいし、バンドでやってもいい。
けしてフォークでもロックでもこだわることはない。
そんなこだわりで6575をやっている。
エレナ

親バカかも知れないが、これからバンドでコミュニケーションできるのが楽しみだ(笑)
以前、粋成浩児のレノンに捧げるコンサートでジョンレノンのラブを娘のピアノとボクのギターで歌ったことがあった。あの日もそうだったが、今日もフォークやロックを父娘でできることがなんて幸せだと感じた。
吉川忠英さん

60年代後半から渡米しフォークの神髄に触れ、帰国後もトップアコギストとして活躍しているお方。
出会って最初に交わした言葉がいきなり「こうじって呼んでいい?」だったのにもやられた(笑)
アコースティックギターと声のサウンドチェックも的確で早い。きっと耳がいいからだろう。
自己の原点回帰アルバム「フーテナニー」には彼やフォークのルーツが凝縮されている。
フォーク年代はもちろん、フォークを知らない若い世代にも通じるアルバムだ。
ぜひ聞いてほしい!
ライブでの特筆すべき点は、忠英さんのギター落語がよかった。登場人物によって声色を変える語り口調が板についてる。
大草原に広がるモンゴルをイメージした特殊な発声法には過去世を偲ぶような懐かしさを感じさせてくれた。
忠英さんのご祖父はハチ公物語にも登場する実在の渋谷駅長をされてたそうだ。なんと、その連れ合いが小田原(松田)のご出身と伺い、同郷のボクは驚いた。
打ち上げで6575オリジナル芋焼酎「蔵乃介」の原酒を旨そうに呑む忠英さん。
昨日はいわき、今日は郡山、明日は喜多方とギターの旅が続く。ステキな61才だ!ボクもこんな風に歳を重ねたい。
62才になっても、またお越しください!
6575オールスタッフ

昨夜スタッフの呼びかけに入りきれないほどの信吾ファンのお客さんが駆けつけてくれた。
20才の信吾人気恐るべし!人柄はもちろんだが、音楽や料理にひたむきなところが人気の秘密なんだろう。
彼が残していってくれたものを大切にこれからスタッフみんなでもっともっと郡山の夜と音楽シーンを盛り上げていきたい。
さぁ今日から6月。また新たなシーンが生まれることでしょう。yea!