はじまりはじまる
及川恒平さん。元六文銭のメンバーで、解散後は他のアーティストへの楽曲提供やテニスのコーチをしていたらしい。
しかし、2年前から「はじまりはじまる」と題した全国ツアーをはじめられた。
ライブが原点だとおっしゃる恒平さんは、この夏に還暦を迎えるそうだ。
温かみのあるこの初老のアーティストが再びはじめたライブのタイトルがうれしくなる。
その活動は同時期にオープンしたフォーク酒場6575のコンセプトにシンクロしている。
ぜひ、また歌声を聴かせてほしい!
しかし、2年前から「はじまりはじまる」と題した全国ツアーをはじめられた。
ライブが原点だとおっしゃる恒平さんは、この夏に還暦を迎えるそうだ。
温かみのあるこの初老のアーティストが再びはじめたライブのタイトルがうれしくなる。
その活動は同時期にオープンしたフォーク酒場6575のコンセプトにシンクロしている。
ぜひ、また歌声を聴かせてほしい!
若狭信吾
フォーク酒場6575はオープンして1年7ヶ月経つ。その新店準備からだから約20ヶ月の間、横浜から郡山に来てひとり暮らしをしながらボクの夢を一緒に手伝ってくれた相棒である。
元々は彼の母親とボクが小学校からの同級生であり、数年前に中学の同窓会で再会したことにはじまる。ピアノが弾ける中学生の息子が調理師になりたがっているという相談だった。そこでボクは同級生のプロのコックやパティシエの友人に紹介し、彼の進路相談をしてもらった。もちろん高校くらいは出ていた方がいいとのアドバイスだった。
それで県立高校に入学した彼だが、2年の中途で学校を辞めてしまったらしい。
その後、まさか自分が飲食店経営をするなんて思ってもいなかったから彼のことは忘れていた。しかし、いざはじめるにあたり料理を作る人間が必要だと気づき、スタッフ探しのとき彼のことを思い出したのだ。それで、母親に相談するとふたつ返事で彼に説得してくれた。彼も承諾してくれて、事はトントン拍子に進み、その週に郡山に来てもらい、アパート探しがはじまった。
ボクのコンセプトは今までにないお客様参加型の飲食店だった。18才の彼と一緒に試行錯誤をくりかえし、なんとかフォーク酒場6575のオープンにこぎつけた。その後は、お客様の意見を聞き入れながら今の営業スタイルになっていった。彼の素直でやさしい性格は年上(すべてのお客様もスタッフも)の人から好かれた。この環境の中でクラシックピアノ、アコースティックギター、ドラムといった楽器の腕を伸ばしていった。
この春、彼が「もう一度一からやり直したい」と申し出た。途中で片腕をなくすとは思ってもいなかったので、はじめは困惑したが、やはり横浜に返すことにした。彼は通信制高校に入るそうだ。何事も中途で投げ出さないで今度こそ真面目に勉強してほしい。
離れた地で、がむしゃらに働いた経験はきっと今後の人生に役立つと思うし、いい修行になったのではないかと思う。ボクがいい加減な分フォローしてくれたことにも感謝したい。きっと20才になった彼にとって6575は部活動のようなものだったのかもしれない。先輩のお客様やスタッフに支えられて成長できたのだから。
ここを離れてもなにかの折には帰ってきてほしいものである。
信吾 ありがとう
元々は彼の母親とボクが小学校からの同級生であり、数年前に中学の同窓会で再会したことにはじまる。ピアノが弾ける中学生の息子が調理師になりたがっているという相談だった。そこでボクは同級生のプロのコックやパティシエの友人に紹介し、彼の進路相談をしてもらった。もちろん高校くらいは出ていた方がいいとのアドバイスだった。
それで県立高校に入学した彼だが、2年の中途で学校を辞めてしまったらしい。
その後、まさか自分が飲食店経営をするなんて思ってもいなかったから彼のことは忘れていた。しかし、いざはじめるにあたり料理を作る人間が必要だと気づき、スタッフ探しのとき彼のことを思い出したのだ。それで、母親に相談するとふたつ返事で彼に説得してくれた。彼も承諾してくれて、事はトントン拍子に進み、その週に郡山に来てもらい、アパート探しがはじまった。
ボクのコンセプトは今までにないお客様参加型の飲食店だった。18才の彼と一緒に試行錯誤をくりかえし、なんとかフォーク酒場6575のオープンにこぎつけた。その後は、お客様の意見を聞き入れながら今の営業スタイルになっていった。彼の素直でやさしい性格は年上(すべてのお客様もスタッフも)の人から好かれた。この環境の中でクラシックピアノ、アコースティックギター、ドラムといった楽器の腕を伸ばしていった。
この春、彼が「もう一度一からやり直したい」と申し出た。途中で片腕をなくすとは思ってもいなかったので、はじめは困惑したが、やはり横浜に返すことにした。彼は通信制高校に入るそうだ。何事も中途で投げ出さないで今度こそ真面目に勉強してほしい。
離れた地で、がむしゃらに働いた経験はきっと今後の人生に役立つと思うし、いい修行になったのではないかと思う。ボクがいい加減な分フォローしてくれたことにも感謝したい。きっと20才になった彼にとって6575は部活動のようなものだったのかもしれない。先輩のお客様やスタッフに支えられて成長できたのだから。
ここを離れてもなにかの折には帰ってきてほしいものである。
信吾 ありがとう
音楽ボランティア
無償でコンサートを企画・運営・制作・出演する団体が郡山にある。
あだたらフォークジャンボリー実行委員会がそれだ。
目的は地元の安達太良山の自然を守り、ここにフォークファンを一同に集め、ジャンボリーを通して親睦を図ること。
中心的なのがフォーク酒場6575に集まるフォーカーたちだ。彼らはそれぞれ別々の職業を持つ社会人。青春を甦らせていくつになっても夢を持ち続けようと企画した。
今年は天候に恵まれ、ゴールデンウィーク後半の5月3日に二本松市のウェルネス健康の森で開催された。
16組のユニットが8時間に渡りフォークを歌い演奏した。
会場準備から片付けまですべてボランティアスタッフの手で行われた。
人生の中にこんな形で人々と音楽を共有できることがあれば楽しい!
あだたらフォークジャンボリー実行委員会がそれだ。
目的は地元の安達太良山の自然を守り、ここにフォークファンを一同に集め、ジャンボリーを通して親睦を図ること。
中心的なのがフォーク酒場6575に集まるフォーカーたちだ。彼らはそれぞれ別々の職業を持つ社会人。青春を甦らせていくつになっても夢を持ち続けようと企画した。
今年は天候に恵まれ、ゴールデンウィーク後半の5月3日に二本松市のウェルネス健康の森で開催された。
16組のユニットが8時間に渡りフォークを歌い演奏した。
会場準備から片付けまですべてボランティアスタッフの手で行われた。
人生の中にこんな形で人々と音楽を共有できることがあれば楽しい!
俺たちのステージ落成
人と人のつながりを作るフォークって凄い!
あだたらフォークジャンボリー会場の所有者秋山社長が第2回目開催を前に特設ステージをプレゼントしてくださった。
安達太良山をバックに眺められる森の中のステージだ。
こちらの管理人の青野さんが整地から組み立てまですべて手作りで間に合わせてくださった。
明日はたくさん仲間を呼んで、こちら落としは新作オリジナル「俺たちのステージ」を歌って、せめてお返ししたい。
あだたらフォークジャンボリー会場の所有者秋山社長が第2回目開催を前に特設ステージをプレゼントしてくださった。
安達太良山をバックに眺められる森の中のステージだ。
こちらの管理人の青野さんが整地から組み立てまですべて手作りで間に合わせてくださった。
明日はたくさん仲間を呼んで、こちら落としは新作オリジナル「俺たちのステージ」を歌って、せめてお返ししたい。
わが銀婚式
1983年4月29日。
目黒サレジオ教会での挙式のあと、六本木で披露宴をあげた。
中学から社会人まで、歴代のバンド仲間たちから生歌のプレゼントをいただいた。
エンディングに新郎のボクはローズピアノの弾き語りで新婦にジョン・レノンの「ウーマン」をジャズバンド・ローグスのバック演奏で捧げた。
あれから25年…。
いま、友人やスタッフたちに祝福されてフォーク酒場6575にいる。
本邦初公開のオリジナル曲「俺たちのステージ」を歌った。
人生 歌えば素晴らしい!
目黒サレジオ教会での挙式のあと、六本木で披露宴をあげた。
中学から社会人まで、歴代のバンド仲間たちから生歌のプレゼントをいただいた。
エンディングに新郎のボクはローズピアノの弾き語りで新婦にジョン・レノンの「ウーマン」をジャズバンド・ローグスのバック演奏で捧げた。
あれから25年…。
いま、友人やスタッフたちに祝福されてフォーク酒場6575にいる。
本邦初公開のオリジナル曲「俺たちのステージ」を歌った。
人生 歌えば素晴らしい!