Sanny

ある日、彼は仙台からボクの店フォーク酒場6575に来店した。ギタリストだとは直感でわかったが、その夜のジャムセッションですぐに意気投合した。自分もフォークバーをやっているが、今度移転してより本格的にやっていきたいとの話だった。そこで、仙台初のフォークバーを応援することになった。
去年の11月、仙台市青葉区大町に唄屋がオープンした。オレンジ色の扉をふたつ開けるとステージのある店内が広がる。
プレオープンの夜、僭越にも乾杯の発声を頼まれた。
その日以来、月に二度のペースで「フォークの細道」という企画ライブを行って早20回を数える。もちろんサニーをはじめ、唄屋のお客さんも6575に来てくれるようになり、6575のお客さんも仙台に行ったときは唄屋に寄ってくれるようになってきた。
また、5月の6575主催の第2回あだたらフォークジャンボリーには仙台唄屋組のアーティストがアウェイ参加してくれた。遠隔地の店ベースでのおつきあいとしては、どんどん広がりをみせている。
はじめに二人の出会いがあり、人が人を呼び、集い、歌い、交流する。
いま大きなイベントの波が仙台を中心に巻き起ころうとしている。
第1回みちのくフォークジャンボリー~つながる想い
9.14 仙台秋保の仙台フォークの森で開催される。
東北6県から31組が参加して、それぞれのエリアを代表するアマチュアアーティストが集う。
仕掛け人はサニーだ。
唄屋に集まるお客さんたちが実行委員会をつくってボランティアで立ち上げるイベントだ。
そんなステキな夢あるフォーカーたちの手づくりのステージをめいっぱい楽しもうと思う。
フィナーレでは、「つながる想い」(作詞、作曲 粋成浩児 編曲 Sanny)を全員で歌うのだそうだ。
兄貴を立てる弟の粋な計らいだ。
YASU

83年夏。アマチュアコンテスト出場をかけてストリート・ダンサーに加入した。
ドラムの三浦貝願の紹介で法政大で出会った彼の笑顔はいまでも忘れられない。
プロデビューし〜解散後16年を経て偶然旭川で再会した。ライブの対バンでの出来事。
ラバーソウルという名のライブハウスは文字通りビートルズ好きなマスターがやっていられる。
まさかこんなタイミングでYASUと一緒にジャムできるなんて信じられなかった。
久しぶりにキーボードで後ろから彼を見ていた奇跡のライブでも彼はその日の客をしっかり乗せていた。
大森うたえもんさん
ボクはストリート・ダンサーのアマチュア時代、メンバーのヤスの母校であるその学生会館をスタジオ代わりに利用してよくリハーサルをしていた。
ツーツーレロレロでそのまんま東さんとコンビを組んでた大森さんは、言うまでもないがその後たけし軍団でご活躍された。
イベントの打ち上げでいらっしゃった大森さんは6575のトイレの前でディスプレイしてあった黄色いギターをみつけた。
日テレで放送してたTV-Jockeyの奇人変人コーナーの参加記念グッズだが、彼によれば土井まさるさんの司会時代は白いギターだったので、どうやらその後の松崎しげるさんの司会時代のギターらしい。
松崎さんの後、ビートたけしさんが司会を務めたのは有名だが、番組名がSuper-Jockeyに変わったので、やはりうちのギターはプレミアムものらしい!?
彼は以前持っていた同じギターを宴会の席で壊して折ったらしい。周囲の「こわせ こわせ」のコールにのせられたからだ。
それを悔やんでいたから、ぜひギターにサインをしてくださいとお願いすると、逆にボクにこれを貸してほしいと切り出した。
そして彼は6575のボクのサインとフォーク研究会と描かれたギターを大事に持ち帰った。
価値のわかる方に愛されるこのギターも幸せものだ。
彼は現在、東国原知事のもと宮崎県に移り住んで全国発信している。
これは芋焼酎木挽が結んだ縁である。