パティ。

6575がこだわるのは1965年から75年。フォークに限らず高度成長期で加速する経済下で、みんなのびのびとしてた時代だったからだ。
大衆的なデパートのお好み食堂は家族みんなで楽しめた。
そこには食券にハンコを押して注文をとりにくるお姉さんが必ずいた。
そんなとき子供心に家族の誰よりも早く注文が届くようにお姉さんに祈ったものだ。
そのお姉さんが着てたデザインが6575ユニフォームだ。
このユニフォームを着おさめしたパティ。は1年7ヶ月働いてくれた。
ありがとうパティ。
卒業生を送る先生のような気持ちだ。贈ることばの代わりに贈ろうと「つながる想い」を歌わせてもらった。
中條真一さん

むろん神奈川育ちのボクが知らないのも無理はない。
FBSR会は、東日本の音響技術者が集まる講習会だが、中條さんは講師として、ボクはバンドで参加していた。
その夜、打ち上げで泊まった熱塩加納村の温泉旅館で意気投合したのがはじめ。
昨夜、唄屋のcozyライブに来てくださり再会することができた。
みちのくFJ実行委員たちも高校生当時聴いてたという冒頭のラジオ番組のスター中條さんはボクのライブで快くPA卓に座ってくれた。
いい音が返ってきた!
お礼にアンコールでボクとサニーが囲んで中條さんに歌っていただいた。
興味深かかったのは、ウォール・オブ・サウンドのフィル・スペクターから右きき用エピフォン・カジノをそのまま左に持ち替えて弾いていたというオーティス・ラッシュのエピソード話まで聴けたこと。
とてもいい夜になった。
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つながる想い

二人のミュージシャンはこのあとのフィナーレで歌う「つながる想い」の演奏を前にカメラに収まった。
二人が出会ってここまで来るのに1年以上の時間を費やした。
思えば「つながる想い」を歌い始めたのもこの頃だった。
実行委員みんなの想いが客席に伝わるだろうかという不安と緊張の中、イントロがはじまったが、そこでトラブル。
SANNYがアレンジした長めのイントロ9小節分を全く気づかないまま飛ばしてしまったのだ。
SANNYやメンバーには申し訳なかったが歌に入ってしまえばこっちのもの。
各フレーズを実行委員が分担して歌いつなぐアレンジはとても素晴らしかったし、この日のために書き下ろした大サビも違和感なくハマっていた。
この夜、秋保から発信された想いが、東北6県のフォーク仲間たちに伝わり、これから先につながっていけると思うと楽しみだ。
それが「フォークの細道」
SANNY お疲れさま
赤星昇一郎さん

赤星さんは昨日、郡山・八幡坂の酒蔵河童へ営業部長に連れられて入ったらしい。
そこで隣りのお客さんに6575を訪ねたら、その店なら知ってると親切にも教えていただいたそうだ。
それを聞いていた店主や女将が会話に混ざって兄やボクの話になったという。
いま河童にいると赤星さんから連絡が入った。
「今日は兄の誕生日だったんですよ」と話したら電話口で驚いていられた。
そういえば、兄とボクが最後に会った郡山の夜も河童で呑んでいたっけ…。
そして、赤星さんは本番前にもかかわらず6575にやって来てくれた。
彼は瞳を滲ませながら「松本きょうじの芝居を見て役者になった」と打ち明けてくれた。
出待ち

そんなことを漠然と考えながら舞台袖で司会者からの呼び込みを待ってる。
「粋成浩児さんです」
と呼ばれいよいよステージへ。
「未来へつながる想い」と題された粋成浩児コンサート&トークショーの開幕である。
小学生時代から音楽に親しんできた経験を元にいままで歩いてきた道のりを歌いながら語る。
共演はベースのPひとり。彼とのアンサンブル以外はスタィンウェイだけが頼りだ。
9.4/まほらにて
主催/三春小学校PTA厚生委員会教養講座