お稼ぎなさい

芸能界の挨拶は「おはようございます」と「お疲れ様でした」だ。
出勤前に郡山駅前を歩いていると飲食店の同業者に出会う。
たいてい「お稼ぎなさい」とか「お稼ぎください」と声をかけられる。
商いの街にふさわしい親しみあるコトバだ。  


Posted by cozyikinari at 2008年06月25日20:16
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P

写真左は同名のGSのタイガースのドラマーではない。

23才からギターをはじめたというから決して早くはないが、しかし彼が郡山のストリートミュージシャンのはしりだ。

郡山の社会人生音楽サークル、punos ploject の punos は sound を逆さまにしたのが由来。

ラジオ局にその歌声と独自のサウンドを買われ数々のイベントをこなしてきた。
しかし父親が亡くなり家業を継ぐことになった。

以来、音楽は趣味としていたが、郡山にフォーク酒場6575がオープンしてからは、真っ先にはまったひとりだ。

彼はお客さんのスタンスを決して崩さないのがいい。

たまに、この店がなかったら「いまごろ自殺していた」なんて物騒なことも言う。

それほど仕事でボロボロになっても音楽を愛する姿勢はただ者ではない。

ストリートあがりの根性は誰にも負けない頼もしい男だ。  


Posted by cozyikinari at 2008年06月18日17:53
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こだわらないこだわり

君はフォーク派か?ロック派か?なんて流行を2分する音楽シーンが70年代の日本にあった。

当時のテレビ番組リブヤングを見てたらフォークVSロックの対決企画をやっていた!

泉谷しげるはフォーク組でキャロルはロック組だ。まあここまではわかるが、なんとチューリップがフォーク組にまざっていた。

ビートルズの影響が強いバンドがなんでまたと思ったが、どうやら姫野さんがエレキにカポを使ってたかららしい!?(笑)

遡れば、60年代半ば以降にグループサウンズ(GS)という、コンボバンドのスタイルが流行った。

大半は既成の作家が書いた曲を自らの演奏で歌っていた。シンガーソングライターが登場する前の話しだ。

ブルーコメッツ、ジャガーズ、ヴィレッジシンガーズ、スパイダース、パープルシャドーズ、ゴールデンカップス、ワイルドワンズ、タイガース、テンプターズ…上げたらきりがない。

いま、彼らの軌跡を辿りながら歌うのが楽しい。ギター一本でもいいし、バンドでやってもいい。

けしてフォークでもロックでもこだわることはない。

そんなこだわりで6575をやっている。
  


Posted by cozyikinari at 2008年06月11日10:06
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エレナ

高校生の娘がドラムをはじめた。16才だから覚えも早い。たった5時間で基本的なビートを刻めるようになった。

親バカかも知れないが、これからバンドでコミュニケーションできるのが楽しみだ(笑)

以前、粋成浩児のレノンに捧げるコンサートでジョンレノンのラブを娘のピアノとボクのギターで歌ったことがあった。あの日もそうだったが、今日もフォークやロックを父娘でできることがなんて幸せだと感じた。

  


Posted by cozyikinari at 2008年06月08日22:57
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吉川忠英さん

2008.6.2 郡山フォーク酒場6575プロナイトライブ4にて。

60年代後半から渡米しフォークの神髄に触れ、帰国後もトップアコギストとして活躍しているお方。
出会って最初に交わした言葉がいきなり「こうじって呼んでいい?」だったのにもやられた(笑)

アコースティックギターと声のサウンドチェックも的確で早い。きっと耳がいいからだろう。

自己の原点回帰アルバム「フーテナニー」には彼やフォークのルーツが凝縮されている。

フォーク年代はもちろん、フォークを知らない若い世代にも通じるアルバムだ。
ぜひ聞いてほしい!

ライブでの特筆すべき点は、忠英さんのギター落語がよかった。登場人物によって声色を変える語り口調が板についてる。

大草原に広がるモンゴルをイメージした特殊な発声法には過去世を偲ぶような懐かしさを感じさせてくれた。

忠英さんのご祖父はハチ公物語にも登場する実在の渋谷駅長をされてたそうだ。なんと、その連れ合いが小田原(松田)のご出身と伺い、同郷のボクは驚いた。

打ち上げで6575オリジナル芋焼酎「蔵乃介」の原酒を旨そうに呑む忠英さん。

昨日はいわき、今日は郡山、明日は喜多方とギターの旅が続く。ステキな61才だ!ボクもこんな風に歳を重ねたい。

62才になっても、またお越しください!
  


Posted by cozyikinari at 2008年06月03日12:51
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6575オールスタッフ

郡山フォーク酒場6575オープン前からのスタッフ信吾の卒業式。

昨夜スタッフの呼びかけに入りきれないほどの信吾ファンのお客さんが駆けつけてくれた。

20才の信吾人気恐るべし!人柄はもちろんだが、音楽や料理にひたむきなところが人気の秘密なんだろう。

彼が残していってくれたものを大切にこれからスタッフみんなでもっともっと郡山の夜と音楽シーンを盛り上げていきたい。

さぁ今日から6月。また新たなシーンが生まれることでしょう。yea!  


Posted by cozyikinari at 2008年06月01日13:36
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はじまりはじまる

及川恒平さん。元六文銭のメンバーで、解散後は他のアーティストへの楽曲提供やテニスのコーチをしていたらしい。

しかし、2年前から「はじまりはじまる」と題した全国ツアーをはじめられた。
ライブが原点だとおっしゃる恒平さんは、この夏に還暦を迎えるそうだ。

温かみのあるこの初老のアーティストが再びはじめたライブのタイトルがうれしくなる。

その活動は同時期にオープンしたフォーク酒場6575のコンセプトにシンクロしている。

ぜひ、また歌声を聴かせてほしい!
  


Posted by cozyikinari at 2008年05月24日13:39
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若狭信吾

フォーク酒場6575はオープンして1年7ヶ月経つ。その新店準備からだから約20ヶ月の間、横浜から郡山に来てひとり暮らしをしながらボクの夢を一緒に手伝ってくれた相棒である。

元々は彼の母親とボクが小学校からの同級生であり、数年前に中学の同窓会で再会したことにはじまる。ピアノが弾ける中学生の息子が調理師になりたがっているという相談だった。そこでボクは同級生のプロのコックやパティシエの友人に紹介し、彼の進路相談をしてもらった。もちろん高校くらいは出ていた方がいいとのアドバイスだった。
それで県立高校に入学した彼だが、2年の中途で学校を辞めてしまったらしい。

その後、まさか自分が飲食店経営をするなんて思ってもいなかったから彼のことは忘れていた。しかし、いざはじめるにあたり料理を作る人間が必要だと気づき、スタッフ探しのとき彼のことを思い出したのだ。それで、母親に相談するとふたつ返事で彼に説得してくれた。彼も承諾してくれて、事はトントン拍子に進み、その週に郡山に来てもらい、アパート探しがはじまった。

ボクのコンセプトは今までにないお客様参加型の飲食店だった。18才の彼と一緒に試行錯誤をくりかえし、なんとかフォーク酒場6575のオープンにこぎつけた。その後は、お客様の意見を聞き入れながら今の営業スタイルになっていった。彼の素直でやさしい性格は年上(すべてのお客様もスタッフも)の人から好かれた。この環境の中でクラシックピアノ、アコースティックギター、ドラムといった楽器の腕を伸ばしていった。

この春、彼が「もう一度一からやり直したい」と申し出た。途中で片腕をなくすとは思ってもいなかったので、はじめは困惑したが、やはり横浜に返すことにした。彼は通信制高校に入るそうだ。何事も中途で投げ出さないで今度こそ真面目に勉強してほしい。

離れた地で、がむしゃらに働いた経験はきっと今後の人生に役立つと思うし、いい修行になったのではないかと思う。ボクがいい加減な分フォローしてくれたことにも感謝したい。きっと20才になった彼にとって6575は部活動のようなものだったのかもしれない。先輩のお客様やスタッフに支えられて成長できたのだから。

ここを離れてもなにかの折には帰ってきてほしいものである。

信吾 ありがとう




  


Posted by cozyikinari at 2008年05月16日14:18
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音楽ボランティア

無償でコンサートを企画・運営・制作・出演する団体が郡山にある。

あだたらフォークジャンボリー実行委員会がそれだ。

目的は地元の安達太良山の自然を守り、ここにフォークファンを一同に集め、ジャンボリーを通して親睦を図ること。

中心的なのがフォーク酒場6575に集まるフォーカーたちだ。彼らはそれぞれ別々の職業を持つ社会人。青春を甦らせていくつになっても夢を持ち続けようと企画した。

今年は天候に恵まれ、ゴールデンウィーク後半の5月3日に二本松市のウェルネス健康の森で開催された。

16組のユニットが8時間に渡りフォークを歌い演奏した。

会場準備から片付けまですべてボランティアスタッフの手で行われた。

人生の中にこんな形で人々と音楽を共有できることがあれば楽しい!
  


Posted by cozyikinari at 2008年05月04日14:48
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俺たちのステージ落成

人と人のつながりを作るフォークって凄い!

あだたらフォークジャンボリー会場の所有者秋山社長が第2回目開催を前に特設ステージをプレゼントしてくださった。
安達太良山をバックに眺められる森の中のステージだ。

こちらの管理人の青野さんが整地から組み立てまですべて手作りで間に合わせてくださった。

明日はたくさん仲間を呼んで、こちら落としは新作オリジナル「俺たちのステージ」を歌って、せめてお返ししたい。
  


Posted by cozyikinari at 2008年05月02日15:05
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わが銀婚式

1983年4月29日。
目黒サレジオ教会での挙式のあと、六本木で披露宴をあげた。

中学から社会人まで、歴代のバンド仲間たちから生歌のプレゼントをいただいた。

エンディングに新郎のボクはローズピアノの弾き語りで新婦にジョン・レノンの「ウーマン」をジャズバンド・ローグスのバック演奏で捧げた。

あれから25年…。

いま、友人やスタッフたちに祝福されてフォーク酒場6575にいる。
本邦初公開のオリジナル曲「俺たちのステージ」を歌った。

人生 歌えば素晴らしい!
  


Posted by cozyikinari at 2008年05月01日12:10
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石井完治さんと静沢真紀さん

失礼ではあるが、この存じ上げぬミュージシャンのお二人をライブに招くにあたっては、人とのつながりを強く感じた。

まず、福島で活躍しているスーパーギタリスト松本林君から、米沢音蔵のはらやんを紹介された。
彼らの東北二人旅を企画しているので郡山でもやらせてほしいと言われた。

うちの郡山フォーク酒場6575では、ちょうどプロナイトを企画中だったので、デモを聴いて開催を決め、お呼びした。

ライブを聴いてアーティストの職人技とその人情味に惚れて、その場で仙台唄屋のサニーに電話した。弘前からの帰り道に仙台でも開催してほしいとお願いした。

デモも聞かずにボクを信じてくれたサニーの計らいで3日前に急きょ仙台公演が追加決定した。

それらの事情をすべて知っている石井さんから、ツアー終了後にご丁寧なお礼の電話をいただいた。

仙台のサニーからも紹介したことへのお礼の電話をいただいた。

アーティスト自身が人と人とのつながりを理解し、それに感謝していれば、活動の場はどんどん広がるといういい例である。

東北も捨てたもんじゃない。
  


Posted by cozyikinari at 2008年04月29日15:41
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そば通

お気に入りの晩酌セットがある。
郡山駅前の「こまち」だ。つきだしに静岡の新鮮な刺身と天ぷら。閉めは、地元泉崎村のそば粉を使った十割三たてのそばだ。
挽きたて、打ちたて、茹でたてのそばを肴に日本酒でいただく。これがライブ前のパワーになるんだよね。
小野のこまち伝説がある小野町ご出身のマスターと女将さんがやってる。  


Posted by cozyikinari at 2008年04月20日00:22
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昭和レトロ

まるで映画・三丁目の夕日のセットの中にいるようだ。

あだたらフォークジャンボリーの打ち合わせで訪れたぱっぱ屋という名の居酒屋。

ここでは、古い映画館に貼ってあるポスター、黒電話、アース製薬のホーロー看板、壁掛け時計など懐かしいものに囲まれながら昭和30年代体験ができる。

仲間でお好み焼きや焼きそばをつつけば話しもビールもすすむこと間違いなし。  


Posted by cozyikinari at 2008年04月16日12:06
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常呂の民宿

20年前、北海道あばしり流氷まつりに、我がバンド・ストリートダンサーのプロモーションで行った時。裸足で凍ったステージに立った覚えがある。当時はメンバーの誰が一番長く立っていられるか競い合ったりしてた…(笑)。


それよりさらに4年前。

サロマ湖の近くにある常呂町に行った。宿泊するには民宿しかなく、確か居酒屋を併設した秋田屋さんという名の民宿に泊まった。

夜になり、土産屋を探せなかったのでスーパーでスジコをみやげに買った。持ち帰ったが部屋の中はストーブをがんがん焚いていて痛んでしまうので冷蔵庫をお借りした。

一階の居酒屋であぶったイカを肴にぬる目の燗ざけを呑んでほろ酔い加減になったから床についた。

翌朝、秋田からの移住なのだろうかキレイな秋田弁を話すご主人が網走空港まで送ってくれた。

旅は終わり東京に着いた。


その2週間後、いきなり現金書留が届いた。その中には現金が入っていた。

「お客様のスジコは当方で処分させていただきました。つきましては、代金をお返しいたします。」

それはすっかり忘れていたスジコの代金だった。

ご主人その節はご親切にありがとうございました。  


Posted by cozyikinari at 2008年04月09日10:10
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仙台フォークフェスティバル(案)

この夏、仙台市を舞台に東北6県からフォークのアーティストやバンドを招く一大フェスティバルが開催される。
この日は、事務局の唄屋さんにスタッフが集合し、開催に向けての実行委員会が開かれた。

仙台といえばジャズフェス。70万人もの動員を図るビッグイベントに成長したが、フォークの出演者たちはなぜか街の隅でひっそりと歌っているらしい!?
で、それはおかしい?と立ち上がった男が唄屋のサニーさん。なぜかボクを兄貴と慕ってくれている。
この夜は彼に呼ばれてボクcozyのライブだったはずが、2ステージ目を返上してミーティングに変更(笑)
しまいには副会長なんて肩書きまでいただいちゃったりして(いいのかなボクなんかで…?)

この席で熱くまだ白紙のフォークイベントを語るスタッフたちは、みんなここのお客さんで様々な職業を持っている。
話し合ってるうちに誰が何が得意分野だか見えてくる。開催に向けていいアイデアがどんどん出てくる。
とにかく成功させたいとの熱いチカラがここにはある。それがなんだかうれしい。

このブログを見ているフォークファンのみなさん!実現したらぜひ見に来てくださいね!  


Posted by cozyikinari at 2008年04月07日17:36
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レジーナの森

福島県天栄村にある一大リゾート。
レイクレジーナを囲んでレイクサイドヴィラ、星が見えるドームコテージ、テニスコート、別荘、温泉、レストランなどがある。

約10年前、Aさんが社長として東京から開発運営を担当、地元にパイプを作ってオープンさせた後、東京へ転勤された。

オープンの日、ボクのカントリーバンド・テンガロンズが湖畔で「ブルームーン・オブ・ケンタッキー」を演奏をした記憶がある。

この春A氏は親会社の取締役になって帰ってこられた。それを祝したパーティーが開かれご招待を受けたので、マーチンを持って駆けつけた。

星空の下、あの日の思い出の曲「ブルームーン・オブ・ケンタッキー」を歌うことができ、A氏にも喜んでいただけた。

こんな形で再会できるなんて、人の縁というものはとても不思議ですね。
  


Posted by cozyikinari at 2008年04月06日12:16
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CDショップのエリッククラプトン

デビュー前、ヤマハのクラビノーバを商品説明するデモンストレーターをやってた頃。

場所は東京銀座山野楽器店頭。

ロック、ジャズ、ブルース、ボサノバ、サンバ、レゲエなどと様々なリズムでバリエーションを変えて演奏していた。

ある日、「アイ・ショット・ザ・シェリフ」をレゲエのリズムで弾いてると、目の前にベンツのリムジンが止まった。

降りてきたのは、なんとエリッククラプトン!

えっヤバっと思い、すぐに「星に願いを」に曲を変更(笑)

店内は突然の外タレの来客に騒然。

大ファンのボクもおそるおそる近づこうとチャレンジ。ついに彼と50センチの距離まで接近することに成功。

でも、いざ近づいてみたら、なにも話かけられない。そんなオーラに包まれていた。

そして彼と目と目が合った。
まるで時が一瞬止まったような瞬間だった。

そこで心の中でこう叫んだ。

「やぁエリック! 君のギターはイカしてるね。今度ハブ・ユア・ラブド・ア・ウーマンをジャムろうぜ」

ギターの神様が頷いてくれたような気がした。
  


Posted by cozyikinari at 2008年04月06日11:29
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カマカのウクレレ

言ってみればこのメーカーのウクレレはギターでいうマーチンだろうな。

たしか74年に初めて家族旅行で行ったホノルルで父が購入したものだ。

ウェットな感じがして生前の父と楽しんだあの頃の古き良きハワイを思い出す…。

いまもそんな音がする。

若いスタッフが興味を示してくれた。

いきなり、フォーク酒場6575が真夜中のウクレレ教室になった。
  


Posted by cozyikinari at 2008年04月03日11:04
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